大阪地方裁判所 平成11年(行ウ)17号 判決 1999年12月24日
原告 梁美佐
被告 国
代理人 宮武康 倉橋明壽 大平武男 ほか五名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告が日本国籍を有することを確認する。
二 被告は、原告に対し、五〇万円及びこれに対する平成一一年三月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、韓国人である母の嫡出でない子として出生した原告が、日本人である父から認知を受けたことにより日本国籍を取得したと主張して、日本国籍を有することの確認を求めるとともに、日本における戸籍が失われたまま放置されていることにより精神的苦痛を被ったなどとして、被告に対し、国家賠償法一条一項の規定に基づき、慰謝料として五〇万円の支払を求めた事案(付帯請求の起算日は訴状送達の日の翌日)である。
一 前提となる事実(証拠の摘示がない事実は、当事者間に争いのない事実である。)
1 梁英順(以下「英順」という。)は、韓国国籍を有する女性であるが、昭和五一年一一月二九日、日本人男性である田島正廣(以下「田島」という。)と婚姻し、昭和六一年三月一九日、田島と協議離婚した。
2 原告は、昭和六〇年七月一五日、韓国において英順の子として出生し、昭和六一年九月一六日韓国において、同年一二月一一日には日本において、それぞれ英順により出生届出がされた。原告を懐胎、出産した当時、母である英順が田島と婚姻関係にあったため、原告は、田島の嫡出子と推定され、日本における右出生届出に伴い田島の戸籍に入籍された。
3 英順は、昭和五五年ころ、日本人男性である沖谷征之(原告法定代理人親権者父。以下「沖谷」という。)と知り合い、その後沖谷との情交関係を継続していたものであり、原告の父も、当時婚姻関係にあった田島ではなく沖谷であった。<証拠略>
4 沖谷は、昭和六一年九月二六日、韓国において、同国の方式で原告の認知を申告してこれを受理され、同年一〇月九日、日本において右認知証書を提出した。
5 原告は、平成七年三月二七日、田島との間の親子関係が存在しないことの確認を求める調停を申し立て、平成八年一月一三日、右親子関係が存在しないことを確認する旨の審判が確定した。原告は、右審判確定により、出生時から日本国籍を取得しなかったものとして扱われることになり、田島の戸籍からも消除された。
6 英順は、平成八年六月一四日死亡した。そこで沖谷は、自己を原告の親権者に指定する旨の審判を大阪家庭裁判所に申し立て、平成一〇年六月一六日、右と同旨の審判が確定した。
7 原告法定代理人親権者である沖谷は、平成一一年一月一二日、大阪法務局長に対し、原告が新たに本籍地にしようとする大阪市港区の区長に宛てて、原告が日本国籍を取得したものとして処理するよう指示されたい旨を上申した。しかし、同法務局長は、同年二月一二日、原告が日本国籍を取得したとは認められないことを理由に、右上申には応じられない旨回答した。
二 当事者の主張
1 原告
(一) 日本人である父が、外国人である母が懐胎した子の胎児認知を届け出た場合、国籍法二条一号の規定により、子は出生の時に日本国籍を取得する。しかし、外国人である母に父とは別に戸籍上の夫があり、懐胎した子が戸籍の記載上母の夫の嫡出子と推定されるときは、日本人である父がその子を適法に胎児認知することはできないため、同じく外国人の母の非嫡出子でありながら、戸籍の記載いかんにより、子が生来的に日本国籍を取得するみちに著しい差があることになる。そこで、最高裁判所平成九年一〇月一七日第二小法廷判決・民集五一巻九号三九二五頁(以下「本件最判」という。)は、「このような著しい差異を生ずるような解釈をすることに合理性があるとはいい難い。したがって、できる限り右両者に同等のみちが開かれるように、同法二条一号の規定を合理的に解釈適用するのが相当である。」とした上、「客観的にみて、戸籍の記載上嫡出の推定がされなければ日本人である父により胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情がある場合」には、胎児認知がされた場合に準じて右規定の適用を認め、子は生来的に日本国籍を取得すると解するのが相当であると判示した。これは実質上、例外的に認知の遡及効を認め、その結果、出生後の認知の場合にも、一定の要件の下に子が日本国籍を取得することを認めたものであると解される。
(二) 本件最判は、続けて、右「特段の事情」があるというためには、「母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた上、右不存在が確定されて認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされることを要すると解すべきである。」と判示している。しかも、そもそも、国籍法二条一号は、本件最判の指摘する点、すなわち、「戸籍の記載いかんにより、子が生来的に日本国籍を取得するみちに著しい差がある」という点だけではなく、同じく日本人である父と外国人である母との間に生まれた子であるのに、嫡出子であるか非嫡出子であるかによって、また、同じく非嫡出子の間でも、胎児認知を受けたか出生後の認知を受けたかによって、日本国籍取得の有無に差異を設けている点においても、憲法一四条一項に定める法の下の平等に反する疑いのある規定である。そして、本件最判が右規定を文理どおりには解釈せず、実質上認知の遡及効を認めるに至ったのは、右規定に違憲の疑いがあるため、これを合理的に解釈する必要があったからであると考えられる。そうすると、先の判示部分も、「特段の事情」が認められるための要件を限定する趣旨に出たものではなく、それが認められる場合を例示した趣旨にすぎないと解すべきである。
一般に、国籍法が認知による遡及的な国籍取得を認めない理由として国籍の安定性の要請ということが指摘されているが、少なくとも未成年者についてみれば、出生時に遡及して日本国籍を取得することを認めたからといって何らかの不都合が生ずるとは考えられず、この点からも、認知による国籍取得の要件は緩やかに解するのが相当である。
(三) 原告の出生当時、母である英順は田島と婚姻中であったため、沖谷は適法に原告を認知することができない状態にあった。ところが、英順が昭和六一年九月一六日に原告の出生届出をした後、沖谷が同月二六日に韓国において原告の認知をしたところ、本来受理されないはずの右認知申告が受理された。そのため、沖谷としては、適法な認知をしたものと信じ、原告が成長して自己の身分につき疑問を抱くまで戸籍をそのままにしておいたものである。
本件最判が「特段の事情」が認められる場合として、「母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた上、右不存在が確定されて認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされることを要する」と判示しているのは、「生来的な日本国籍の取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましい」との理由によるものである。しかし、現実には子の出生届出がされなければ国籍確定の問題も生じないのであるから、子の出生届出後遅滞なく親子関係の不存在を確定するための法的手続が執られさえすれば、本件最判が指摘する要請は満たされるものということができる。本件では、沖谷による認知申告は原告の出生届出からわずか一〇日後にされているのであるから、本件最判のいう「母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた」との要件を満たすものというべきである(なお、原告の出生届出が現実の出生から約一年二か月を経過した後にされているのは、英順が原告を田島の子とされることなく届け出ることができないか思い悩み、逡巡していたためであって、そのこと自体は責められるべきではない。また、子の出生届出後ではなく、本件最判の文言どおり「子の出生後遅滞なく」と解さざるを得ないとしても、沖谷による認知申告は原告の出生から約一年二か月後にされており、国籍法二条一号の規定の適用を肯定した本件最判の事案とはわずか約九か月の差があるにすぎない。)。もっとも、現実には、田島と原告との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続は平成七年三月二七日になるまで執られていない。しかし、この点については、仮に沖谷による認知申告が受理されず、原告が戸籍の記載上田島の嫡出子とされているため原告を認知することができないという状況が原告の出生直後に生じていたとすれば、沖谷としては、自己が原告の父であることを確定するため、右の法的手続を早期に執っていたものと考えられる。すなわち、右の法的手続を執るのが遅れたのは、不適応な認知申告が誤って受理されたことにより、沖谷と原告との間の親子関係が戸籍上記載されることになったからにほかならないのであって、このような場合にまで、沖谷に対して更に田島と原告との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続を早期に執ることを要求するのは酷といわざるを得ないし、沖谷及び原告の責めに帰すべき事情によらない誤った認知申告の受理を原因として原告の日本国籍取得のみちを閉ざすのも、理不尽というべきである。
また、沖谷による原告の認知申告は、仮に不適法で誤って受理されたものであるとしても、後に田島と原告との間の親子関係の不存在を確認する旨の審判が確定したことにより遡及的に適法有効なものになったと解すべきである。したがって、本件の場合、本件最判のいう「認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされること」との要件をも満たすものということができる。
更に、沖谷が原告の出生届出の直後に右認知申告をしていることからみても、沖谷には、戸籍の記載上原告について嫡出の推定がされなければ、原告を胎児認知する意思あったものと認められる。この点、沖谷が実際に胎児認知の届出をしようとしなかったことは、本件最判のいう「胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情」の存在を認める際の妨げとはならないと解すべきである。
(四) 右のとおり、原告については、客観的にみて、戸籍の記載上嫡出の推定がされなければ日本人の父である沖谷より胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情があるというべきである。よって、原告は、日本人である沖谷の子として、国籍法二条一号により、生来的に日本国籍を取得したものと認めることができる。
(五) 前記一7のとおり、大阪法務局長は、原告法定代理人親権者である沖谷が、大阪市港区長に宛てて原告が日本国籍を取得したものとして処理するよう指示されたいとの要請をしたにもかかわらず、同区長に対してその旨の指示をしなかった。被告の公務員である同法務局長の右の不作為は違法であり、原告に対する職務上の不法行為に当たる。原告は、自己のあずかり知らない事情により長年有していた日本国籍を失った上、右要請も受け入れられなかったため、日本における戸籍が失われたままの状態で放置されており、これにより被った精神的打撃は計り知れないものがある。
よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項の規定に基づき、原告の精神的損害に対する慰謝料として五〇万円の支払を求める。
2 被告
(一) 国籍法二条一号は、「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」に子が出生により日本国籍を取得する旨規定する。同号にいう「父」とは法律上の父をいうところ、民法は法律上の父子関係について認知主義を採用しており、かつ国籍法の関係では認知の効果は遡及しないと解されているので、外国人である母の非嫡出子が生来的に日本国籍を取得するのは、原則として日本人である父から胎児認知された場合に限られることになる。
本件最判は、右の原則に立脚した上で、外国人である母の非嫡出子が日本人である父により胎児認知されなくても、右の子が戸籍の記載上母の夫の嫡出子と推定されるため日本人である父による胎児認知の届出が受理されない場合において、「客観的にみて、戸籍の記載上嫡出の推定がされなければ日本人である父により胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情」があるときは、「右胎児認知がされた場合に準じて、国籍法二条一号の適用を認め、子は生来的に日本国籍を取得すると解するのが相当である。」と判示し、極めて限定的な例外を認めている。また、右の例外が認められるための要件につき、本件最判は、「右の特段の事情があるというためには、母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた上、右不存在が確定されて認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされることを要する」と判示している。ちなみに、本件最判は、子の出生から三か月と三日後に母の夫と子との間の父子関係の不存在を確定するための法的手続が執られ、父子関係不存在の確定から一二日後に認知の届出がされたという事案において、子の日本国籍取得を肯定したものである。
(二) 沖谷は、原告の出生から約一年二か月後に韓国において不適法な認知申告をしたのみで、胎児認知はもちろん、原告の出生後も現在に至るまで適法な認知の届出をしていないのであるから、「認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされ」たとはいえず、沖谷に原告を胎児認知する意思があったとも認められない(なお、英順と田島との婚姻は、韓国においても届出がされており、原告は、韓国戸籍の記載上も田島の嫡出子であるとの推定を受ける子であった。したがって、沖谷による右認知申告は、嫡出推定がされる子を対象としたものである点において韓国法上も不適法なものであり、現在でもなおその効力には疑問がある。)。
また、田島と原告との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が執られたのは、原告の出生から約九年九か月経過した後のことであるから、「親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた」ともいえない。
(三) 右のとおり、本件の場合、「客観的にみて、戸籍の記載上嫡出の推定がされなければ日本人である父により胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情がある」とは認められないから、本件最判の判旨を前提にしても、原告につき国籍法二条一号の規定が適用される余地はない。よって、原告が日本国籍を取得したと解することはできず、右国籍取得を前提とする原告の慰謝料請求も失当である。
第三当裁判所の判断
一 国籍法二条一号は、子は「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」は日本国籍を取得する旨定めているところ、右規定は、子の出生の時に日本国民である父との間に法律上の親子関係が存在している場合をいうものと解される。そして、法令一八条二項、民法七八四条本文によれば、認知は出生の時に遡ってその効力を生ずるものとされているが、これは親族法上の効果について定めたものにすぎず、生来的な国籍取得に関しては、その性質上出生時に確定されることが相当であることからして、認知の効力が遡及することはないと解すべきである。このことは、昭和二五年法律第一四七号による改正前の国籍法(明治三二年法律第六六号)五条三号が外国人である非嫡出子の出生後における認知につき、日本国籍の伝来取得を認めていたが、認知の遡及効により日本国籍の生来取得を認める建前を採らず、現行の国籍法は、右改正前の国籍法と異なり認知による国籍の伝来取得をも認めていないこと、現行の国籍法三条が、認知のあることが前提となる準正子についても、当然に日本国籍を取得するものとはせず、法務大臣に対する届出があって初めて日本国籍を取得するものとしていることからも明らかである。
右のとおり、国籍法においては認知の遡及効が認められていないのであるから、出生後に認知がされたというだけでは、子の出生の時に父との間に法律上の親子関係が存在していたということはできず、外国人である母の子が日本人である父から認知されたからといって、右の子が同法二条一号に当然に該当するということにはならない。すなわち、外国人である母の非嫡出子が生来的に日本国籍を取得するのは、原則として日本人である父から胎児認知された場合に限られるということになる。しかし、そうであるとすると、外国人である母が子を懐胎した場合において、その子が戸籍の記載上母の夫の嫡出子であるとの推定がされない場合には、夫以外の日本人である父の胎児認知という手続を執ることにより、子が生来的に日本国籍を取得するみちが開かれているのに、右推定がされる場合には、胎児認知という手続を適法に執ることができないため、子が生来的に日本国籍を取得するみちがないことになり(外国人である母が子を懐胎した場合において、その子が戸籍の記載上母の夫の摘出子と推定されるときは、夫以外の日本人である父がその子を胎児認知しようとしても、その届出は認知の要件を欠く不適法なものとして受理されないから、胎児認知という方法によっては、子が生来的に日本国籍を取得することはできない。)、同じく外国人の母の非嫡出子でありながら、戸籍の記載いかんにより、子が生来的に日本国籍を取得するみちに著しい差が生ずることになるが、このような著しい差異を生ずるような解釈をすることに合理性があるとはいい難いから、できる限り右両者に同等のみちが開かれるように、同法二条一号の規定を合理的に解釈適用するのが相当である。右の見地からすると、客観的にみて、戸籍の記載上嫡出の推定がされなければ日本人である父により胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情がある場合には、右胎児認知がされた場合に準じて、国籍法二条一号の適用を認め、子は生来的に日本国籍を取得すると解するのが相当であるところ、生来的な日本国籍の取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましいことに照らせば、右の特段の事情があるというためには、母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた上、右不存在が確定されて認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされることを要すると解すべきである(最高裁判所平成九年一〇月一七日第二小法廷判決・民集五一巻九号三九二五頁(本件最判)参照)。
二 そこで、これを本件についてみると、前記第二の一のとおり、原告は昭和六〇年七月一五日英順の子として出生したが、当時英順は田島と婚姻関係にあったため、原告の出生前に沖谷が適法な胎児認知をすることはできなかったところ、沖谷は、昭和六一年九月二六日、韓国の方式で原告の認知を申告してこれを受理され、同年一〇月九日には、右認知証書を日本において提出したこと、原告は、平成七年三月二七日、田島との間の親子関係が存在しないことの確認を求める調停を申し立て、平成八年一月一三日、右親子関係が存在しないことを確認する旨の審判が確定したことが認められる。そして、右認知申告は、他人の嫡出子であると推定されている子についてされたものであるから、日本においても韓国においても不適法なものであり(民法七七九条、韓国民法八五五条一項)、本来受理されるべきではなかったものが韓国において誤って受理されたものであることが明らかであるが、右受理の可否に関する戸籍事務の取扱いは、戸籍官吏が親子関係の存否につき実質的な審査権限を有しないことにかんがみ、民法上嫡出推定を受ける子であるか否かを基準とする形式的な運用がされているにすぎないことからすると、後に田島と原告との間の親子関係の不存在を確認する旨の審判が確定したことにより、申告時に遡って有効なものになったと解する余地がないではない(右認知申告の誤った受理に関しては、<証拠略>によれば、英順は原告出生後の昭和六一年八月二三日、韓国において分家の申告をし、これにより、英順を戸主とする新戸籍が編成されたこと、次いで、英順が同年九月一六日原告の出生届出をしたことにより、原告は、英順を戸主とする右戸籍に、英順の非嫡出子として入籍されたこと、更に、沖谷は、日本に居住していたにもかかわらず、右入籍の直後である同月二六日、韓国に出向いて右認知申告を行い、右申告が受理された結果、原告の身分事項欄に右認知の記載がされたことがそれぞれ認められ、これらの事実からすると、本来であれば田島の嫡出子としての出生届出しかできなかったはずの原告を、英順を戸主とする新戸籍に非嫡出子として登載させることで、沖谷による認知申告を適法なものと装うための策を弄したとの疑念を払拭し得ず、そうであるとすれば、かかる認知申告が申告時に遡って有効になると解してよいかは問題であろう。)。
しかしながら、仮に右認知申告がその申告時に遡って有効なものになったと解するとしても、沖谷が右認知申告をしたのは昭和六一年九月二六日であって、原告の出生から約一年二か月後のことであり、しかも、母の夫との間の親子関係の不存在を確認すべく、田島と原告との間の親子関係が存在しないことの確認を求める調停の申立てがされたのは、平成七年三月二七日であって、原告の出生から約九年八か月を経過した後であることが認められるから、かかる事実に照らすと、原告の出生後遅滞なく田島と原告との間の親子関係不存在を確定するための法的手続が執られ、これが確定した後速やかに認知の届出をしたものということはできず、むしろ、原告につき戸籍上嫡出推定がされなくても沖谷による胎児認知はされなかったものと推認するのが相当であり、結局、客観的にみて、戸籍の記載上嫡出の推定がされなければ沖谷により胎児認知がされたであろうと認めるべき特段の事情があるとは認め難いというべきである。
三 右の点に関し、原告は、<1> 本件最判が親子関係の不存在を確定するための法的手続及び認知の届出を早期にすべきことを求めているのは、「生来的な日本国籍の取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましい」との理由によるものであるところ、現実には子の出生届出がされなければ国籍確定の問題も生じないのであるから、子の出生届出後遅滞なく親子関係の不存在を確定するための法的手続が執られさえすれば、本件最判が指摘する右の要請は満たされる、<2> 田島と原告との間の親子関係の不存在確認を求める調停の申立てが遅れたのは、沖谷の韓国における認知申告が誤って受理されたという沖谷及び原告の責めに帰すべきでない事情を原因とするものであり、仮に、右認知申告が受理されなかったとすれば、沖谷としては、親子関係の不存在を確定するための法的手続を早期に執っていたものと考えられるから、右手続の遅れを理由として原告の日本国籍取得を否定するのは相当でない、と主張するので、これらについて検討する。
1 前記一で説示したとおり、外国人である母の非嫡出子が日本人である父により胎児認知されていなくても国籍法二条一号により日本国籍を取得することができるのは、胎児認知がされた場合と同視し得る実質を有することがその根拠となっているのであるから、認知を妨げている障害が取り除かれるための親子関係不存在確定手続は、遅滞なくされる必要があるところ、生来的な日本国籍の取得は、その事柄の性質上、できる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましいことにかんがみると、この「遅滞なく」とは非嫡出子の出生後「遅滞なく」と解するのが相当である。これに加えて、子の出生があったにもかかわらずその届出がされない場合には、戸籍の記載により出生した子の身分関係の登録、公証がされる余地がないため、社会生活上種々の支障を生じ、子の福祉に反する結果を招くことは明らかであること、戸籍法も所定の者に対し、子の出生後一定期間内に出生の届出をすべき義務を課していること(四九条、五二条、一二〇条)をも考慮すると、単に、子の出生届出がされていない間は子の国籍をめぐる法的紛争が表面化しないからといって、子の出生そのものと出生届出とを同視し、前記説示にかかる母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が「子の出生後遅滞なく執られた」ことを「子の出生届出後遅滞なく執られた」ことと解するのは相当でないといわなければならず、この点に関する原告の前記主張は採用することができない。また、原告の主張するように、英順による出生届出が遅れたのが、英順が原告を田島の子とされることなく届け出ることができないか思い悩み、逡巡していたためであったとしても、子の福祉という点を考慮した場合、右届出の遅れをやむを得ないものとして容認することは相当でないし、原告法定代理人(沖谷)の供述によれば、沖谷は、原告の出生後まもなく右出生の事実を知ったにもかかわらず、出生届出に関しては英順にすべて任せていたにすぎないものと認められ、沖谷自身が、原告の出生後遅滞なく原告を認知するため何らかの手続を執ろうとした事実は窺われないのであるから、沖谷による認知申告が原告の出生から約一年二か月後になったことにも相当な理由があったとはいい難い。
2 次に、田島と原告との間の親子関係の不存在確認を求める調停の申立てが遅れた事情についてみると、前記第二の一で認定した経過によれば、沖谷が韓国においてした原告の認知申告が誤って受理されたことがその後における手続の遅れを招いた面のあることは否定できないところである。
しかしながら、原告は、英順が昭和六一年一二月一一日に日本において原告の出生を届け出たことにより田島の戸籍に入籍され、戸籍上田島の嫡出子とされたことは、前記第二の一2のとおりであるところ、<証拠略>及び原告法定代理人の供述によれば、原告は、沖谷が昭和六一年九月二六日に韓国において認知の申告をした後も、田島との間の親子関係不存在確認の審判が確定するまで、田島の戸籍にその嫡出子として登載されていて、実生活においても田島姓を名乗っており、沖谷も右戸籍上の記載については認識していたものと認められるのであるから、たとえ右認知申告が受理されたとはいえ、田島と原告との間の親子関係の法的処理がされていない以上、右親子関係の不存在を確定するための法的手続が平成七年三月二七日の調停申立てまで放置されたことに相当な理由があったとはいい難い。そうすると、沖谷による認知申告が受理されていなかったとすれば、沖谷としては、右の法的手続を早期に執っていたものと考えられるとして、右認知申告時又はこれに近接した時期に田島と原告との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が執られていたはずであると認めるのは相当でないというべきである(なお、仮に右認知申告時又はこれに近接した時期に右の法的手続が執られたものとみなすことができるとしても、右認知申告は原告の出生から約一年二か月後にされており、かつ、右認知申告が遅れたことに相当な理由があるといい難いことも前記1で説示したとおりであるから、約一年二か月という期間をもって、出生後遅滞なく田島と原告との間の親子関係不存在を確定するための法的手続が執られたということはできない。)。
四 更に、原告は、国籍法二条一号の規定には違憲の疑いがあること、少なくとも未成年については、出生時に遡及して日本国籍を取得することを認めたからといって国籍の安定性を害するおそれがないことなどを理由として、本件最判が「特段の事情があるというためには、母の夫と子との間の親子関係の不存在を確定するための法的手続が子の出生後遅滞なく執られた上、右不存在が確定されて認知の届出を適法にすることができるようになった後速やかに認知の届出がされることを要する」と判示する部分は例示にすぎないとも主張する。
しかしながら、本件最判の趣旨については、実の父が子に日本国籍を取得させるため胎児認知の届出をしたくても、母が婚姻中であることから右届出が適法に受理されない状態にあるため、まず認知の届出が適法に受理されるための法的手続を進め、その後に右届出が受理される状態になった時点で出生後の認知をしたという要件を備えた場合に初めて、適法に胎児認知がされた場合と同視し得る実質を有するとして、極めて例外的に、胎児認知がされた場合に準じて日本国籍取得の要件があると判断したものと考えられるのであり、原告が右に主張するような論拠に立って、生来的に日本国籍を取得するための要件を緩やかに解したものとみることはできない。本件の場合、原告の出生後、沖谷において認知の届出が適法に受理されるための法的手続を何ら執らないまま相当な理由なく約九年八か月にわたり放置したことは、既に認定したとおりであって、適法に胎児認知がされた場合と同視し得る実質を有するということはできないから、右の趣旨からしても、国籍法二条一号が適用される余地はないというべきである。
五 以上のとおり、原告が生来的に日本国籍を取得したとは認められないから、原告が日本国籍を有することの確認請求は理由がなく、そうすると、大阪法務局長が大阪市港区長に宛てて原告が日本国籍を有することを前提とした処理をするよう指示をしなかった点に違法があるともいえないから、慰謝料の支払請求も理由がないことになる。
よって、原告の請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 三浦潤 石井寛明 徳地淳)